七つの川を有する広島デルタの北西、三滝山(宗箇山)の中腹に位置する三瀧寺は、原爆によって廃墟と化し、艱難辛苦の後、近代的な都市へと再生した広島には数少ない、趣深き寺である。
 境内入口の上に立つ多宝塔は、元は和歌山県の広八幡神社にあったが、原爆死没者の慰霊のためにこの三瀧寺に移築され、毎年八月六日と秋の多宝塔本尊阿弥陀如来御開帳法要の折には、慰霊法要が厳修され、幾十万もの犠牲者の菩提が念じられている。
 街から程遠からぬ場所でありながら、境内には深山幽谷の風情があり、瀬音を耳にしながら苔むした参道を歩むと、日常空間から離れ、仏様の世界に身を置いたようであり、広島市民にとっては安らぎの聖地、心の故郷となっている。
 曾ては多くの修行僧が滝にうたれ、岩窟で禅定に入り、幾つもの堂塔を構えていたようであるが、今は緑陰の下、静けさが漂い、忘れられた何かを思い起こさせる地となっている
 大同四年、唐への留学を終え、真言密教の教えを体得された弘法大師は、都に上る途中この地を訪れ、末世有縁の霊地なりと、聖観世音菩薩の種字(梵字)を石に刻まれ、滝の飛沫のかかる岩窟に安置され、修法を成されたことに始まると伝えられている。
 今この種字石は、本堂内の厨子に納められ、秘仏として祀られている。
 爾来一千年有余年にわたり観音様の霊場として法燈を伝え、鎌倉時代には安芸国守護武田氏の庇護を受けて寺運は興隆するが、戦乱と水難によって多くの堂塔を失い、一時期は市中寺院の奥の院として辛うじて寺を護持する時代もあったという。
 しかし、険しき山容と滔々と流れる滝に引かれて多くの修行僧が集まり、いつの時代も名もなき修行者たちが、この寺を護り、そうした修行者を慕ってお参りする信者が絶えなかったという。