

| 「何もしてあげることができなくてすみません」ポツリとそんなことをいう妻、「なにもしてあげることができなくてすまん」のはこっちだ。なにもかも着るものから食べるものからパンツの洗濯までしてもらってばかり。しかも妻に「すまん」と言われるまで気がつかないでいた。と東井義雄氏は自著「拝まない者もおがまれている」の中で、このように教えられ感謝する。 蓮台寺の御本尊は十一面観音という仏さまです。十一の顔を備えております。やさしく導くお顔、悪をいましめるこわい顔など、これは1人でも多くの人を救い導こうというお心を現わされてお姿であります。 私たちも笑ったり、泣いたり、おこったり、かぞえきれないほどの顔を持っています。でも私自身のひとつの顔です。十も二十もの沢山の顔をもっています。十一面相といわれても、十一面観音さまとはいわれません。それは、私たちが自分のために笑ったり泣いたり、すべて自分のためだけに使っているからであります。 必ずどんな人にも、その人なりの苦しみ、その人なりの悲しみ、もちろん楽しみもあります。そういうことをうつしとり感じる心をもってなければ、どんなに修業をしたり、勉強をしたって、その顔には一番大切なことが欠けているのです。私たち人間としてそうあってほしい現実の姿こそ観音さまです。 今、遠くを望むこともけっこうだが、もっと足もとをみて、「すまんのはこっちだ」と、身近なみ仏の深い心根を感じとろうではないか。 |
| 第6番札所(岡山県倉敷市) 瑜伽山蓮台寺 貫主 佐伯増恒 |