第十七番札所(山口市吉敷) 龍蔵寺 住職 宮 原 隆 史

 人間というものは、歳を重ねるほどに「恐れ」を持つのが必要なものです。
 若い人もそうですが、我がまま、気ままは人に迷惑がかからないうちはいいのですが、これが人に迷惑がかかるとなると、一番いやがられるものです。近年老齢化社会を迎え八十歳、九十歳のお年寄りはざらですが、なかなか洒落たお年寄りは少なくなりました。
 人間の心なんて言うものは、外見よりも心の内面が表に出るもので、皺の醜さよりも、その執着心や我がままな心が、本当の醜さになっていることになかなか気が付かないものです。
 来年からいよいよ介護保険法が開始されるとのこと、いろんな老人ホームにもお訪ねする機会がありますが、そのお世話をする方々が、口には出されないが「お年寄りのお世話をすることは容易いことだが、その我がままさや仲間同士の喧嘩には往生する」とおっしゃる。
先日、朝日新聞で見ましたが、大阪の日赤病院にお勤めの柏木先生と言う方は、四、〇〇〇人の末期ガンの患者さんを看てこられたが、その方々のほとんどの人が、亡くなる3カ月頃前から「不思議と生きて来たように死んでいく」とおっしゃる。「我がままを言ってきた人は我がままを言いながら死んでいく、不平不満ばかり言ってきた人は不平不満を言いながらんで逝く」とおっしゃる。
ただ例外的に信仰を持った人だけは、最後まで自分を自制しながら死んでいくとおっしゃる。
 そこで、観音さんや仏さんを拝みながらの巡拝を考えてみると、仲間同士助け合ったり、どんなに我がままな人であっても巡拝を考えてみると、仲間同士助け合ったり、どんなに我がままな人であっても巡拝のルールだけは、きちんと守らねばいけませんね。しかも、人生最後の按針が学べる巡拝こそ、自然な人間の行法だと思われませんか。きっと、これからもブームは廃れることはありませんね。むしろ、もっと盛大になるとは思われませんか。