私の好きな教えのことばの一つに「一即多・多即一」があります。華厳経という仏教経典に出てくることばです。この経典は、釈迦の悟りの内容を示した深遠な仏教哲学を展開し、難解なものですが、意外と日本人にもなじみの深いものでもあります。奈良の大仏様はこの経典の中心思想を形として表現したものでありますし、東海道五十三次の五十三にわたる遍歴もこの経典から出てきたものですし、栃木県の日光にはこの経典の名をとった華厳の滝がございます。
 「一即多多即一」とは、宇宙のなかの全てはお互いに交じり合いながら流動しており、「一」という極小のなかに「多」、すなわち無限大、一切が含まれ、無限大、一切である「多」のなかに「一」という極小が遍満している、ということでございます。
 「一」に自分自身を置くことができます。すると、この自分のなかに社会のみならず、全世界の一切、果ては大宇宙が含み込まれていることがわかります。ならば、大宇宙まではいかなくても、昨今次から次へと起こる忌まわしい事件は、決して他人事などではなくて、実は自分自身の事件なのです。また社会や世界そして宇宙には自分自身が全てにいきわたり満ち満ちています。だからダメ人間や役立たずの人間など有りはしないのです。
 以上のように、この教えは今日を生きる私たちに、他人の痛みが自分の事として解る優しさと、また自信喪失の人に勇気を与えてくれましょう。この実践こそが、私たちの中にある観音様に磨きをかける事になりましょう。

第二十一番札所 観音院 住職 岡本敬道