鐘楼門の摩訶不思議な鐘


 
 中国観音霊場第一番札所である西大寺は、創建以来、およそ一千二百年の歴史の間に、いくつかの伝説(昔話)が生まれました。その中でも今回は客殿に通じる鐘楼門に掛かる梵鐘について紹介します。
 今から約一千年前に新羅の国で鋳造された朝鮮鐘がある。その昔、備前の藩主・宇喜多直家が岡山城を築くに当り、この鐘を陣鐘としてどうしても欲しくて住職に交渉した。寺や信徒らは、この鐘を持って帰ると必ず龍神のたたりがあると断わったが、直家は鐘のイボ三つを打ち落として龍神に丁重なお祭りをし、行列の儀式までして岡山城へ持ち帰ったという。
 しかしその後、お城では鐘が少しも鳴らず、仕方なく元通り、お寺に送り返した。龍頭に損傷を生じたものの、後に次第に癒着して、寛文九年典翁上人の時には全く痕跡も見えなくなったという。また嘉永七年一月十八日、寺で火災が起き、鐘楼門は助かったが、その時、当地出身の力士・玉の森が鐘楼に登って鐘を投げ落した。その為、ひびが入って鳴らなくなったが、長年の間に自然に癒着して再び鳴り出したという。
 またこんな話もある。当地では昔から日照りがあった時には、この鐘を吉井川の中につけて曵くと必ず降雨があると伝えられてきた。中でも明治三十三年夏、消防団第一部がた祈願は、最も霊験あらたかなもので、祈願成就の翌日には消防団が鐘を担ぎ町内を練り歩いてお祝いをしたという。
 この朝鮮鐘がどのような経緯で西大寺に伝わったのか定かではないが、寺伝によると開山住職である安隆上人が周防から来る時に瀬戸内海・児島の海上で龍神から得たものといわれる。或は、神宮皇后が朝鮮出兵した後、新羅から貢ぎ物をする途中で下津井沖に落としたのを、この地の猟師の網に掛かったので寄進したとも言われている。しかし室町時代に倭寇が朝鮮から戦利品として持ち帰ったものだという説が有力とされている。多々の伝説を持ったこの朝鮮鐘は、国の重要文化財に指定されており、今日では朝夕の時報として、また年末大晦日には除夜の鐘として親しまれている。

第一番札所(岡山市西大寺中) 金陵山 西大寺