
| 明王院山門の扉の不思議 |
| むかしむかし、明王院の門前町(草戸千軒町)の魚屋に、働き者の太助という小僧がおりました。朝は朝星、夜は夜星、朝に港で仕入れた魚をとなりの村まで売りに行きます。一生懸命に働いて、大きくなったら自分の店を持とうと思っていました。 ある朝、いつものように明王院の下まで来ると、天秤棒をおろしひと休み。汗をふきながらふと山門を見上げました。すると山門の扉はもう開いています。 「お寺の小僧さんも早起きじゃ。よし、明朝は小僧さんに負けないように門の扉が開かぬ間に来ることにしよう」と思いました。 あくる朝、いつもより早起きして明王院の下まで来て山門を見上げると、もう山門は開いていました。太助は「よし、明日こそは!」と毎朝毎朝頑張りましたが、いくら早起きしても扉はもう開いています。 ある朝、今朝もだめか、と思い余った太助は石段を駆け上がりました。山門に辿り着いた太助はそこで「あっ!」と驚くしかありませんでした。 なんと、山門には扉がついていなかったのです。 この太助さん。早起きのおかげで行商が繁昌し、何時の間にか立派なお店をもっていたんだそうです。 めでたし、めでたし。 明王院の山門(慶長19年再興・広島県重文)は、裏の愛宕山に住む天狗が一夜にして建てたという伝説がある。萩(榛)の一本造りという技法で、萩の称がある。 為に当寺を萩寺とも云う。 山門の扉は、大公豊臣秀吉が朝鮮出兵の折、その家臣、福島正則が、船の舳先に立てかけて矢止めとするために取り外したと云われ、福島公は無事帰朝の折、扉の代わりに七重の石塔(福山市重文)と梅鉢の手水鉢を持ち帰って返礼としたと伝えられる。 |
| 第八番札所(広島県福山市) 明王院 |