佛通寺の御開山


 佛通寺では、毎年九月二十五日、開山様のご命日に法会を行っております。そしてその法会に開山様の御徳にあやかり塔婆供養を行っております。毎年多くの方々が先祖の供養の為と申して塔婆を供えて頂いております。
 この塔婆供養の由来は当山開創の時代に遡ります。
 佛通寺は応永四年愚中周及禅師がわずか四人の修行の友を伴って九州へ行く途中、高山城城主小早川春平公の帰依を受け、この地に留まっていただくため創建された禅寺です。
 開山様は、常々人との応接を嫌われ、本堂(現開山堂)の下の所に隠室を造られ此処に一人で住んで居られました。そして一切の出入りを厳しく禁じられておりました。
 朝夕の粥飯に弟子の一人が伺うと、強く誰かに呼びかけられるような声が聞こえて来るので立ち入って礼拝すると、そこには誰もいません。そこで、その弟子が開山様に、「和尚は一人言を言って居られるようですが、何か不服な事でもございますか。」と尋ねました。
 すると開山様は、「小人閑居して不善をなすというが、私は人の為に常に禅定を修している。そして折々に佛通寺の鎮守様であられる八幡宮等の諸神が私の元へ降りて来られ、暫し僅かな仏法の議論をしているのです。決して一人言をいっているのではありません。お前たちもこの世の人たちと雑談をしてはいけない。だからお前さんも早く戻って修行しなさい。」と言って追い返されました。
 開山様のお住まいに近づくと、いつ訪ねてもお客があるように話し声が聞こえてきましたが、ただ一人で「ぶつぶつ」「ぶつぶつ」という音だけ聞こえて来て何をお話ししているのかよくわかりません。ここから、開山様の一人言を誰となく『ぶつぶつ念仏』とあだ名するようになりました。
 近里遠村まで皆、生き仏の開山様を一度拝めば、この現世はおろか未来永劫まで助けて下さると言ううわさが響き渡り、『佛通寺のぶつぶつ念仏七返唱えれば仏になる』と言われるようになりました。
 開山様を慕う多くの弟子達が、丹波の天寧寺と佛通寺にそれぞれ塔を建て、開山様の御徳をこうむる者は各々小庵にこもって昼夜修行に励まれました。そして毎年、開山様のご命日である八月二十五日(現在は九月二十五日)に法会が行われるようになりました。
 近隣の人々は、この法会を「渡しに参る」と言って法会にお参りし、先祖がぶつぶつ念仏の功徳によって未来の苦験を免れるようになったと言われております。
 これが、今日も絶える事なく毎年行われています開山忌と塔婆供養の始まりでございます。

第十二番札所(広島県三原市) 御許山 佛通寺