洞春寺と法華千部会


 洞春寺は、山号を正宗山と称し、臨済宗建仁寺派に属し、本尊は十一面観世音菩薩で、脇立は勝軍不動明王、勝敵毘沙門天で、いずれも毛利元就の護持仏であります。
 本当は元亀3年(1572)の春、毛利元就の菩提寺として安芸国吉田の城内に創建されました。開山は嘯岳鼎虎禅師です。開山嘯岳鼎虎禅師は中峰派の偉材でした。元亀元年(1570)8月に正親町天皇から賜紫衣も宣盲を拝しました。のち、京都の建仁、南禅寺に歴住しましたが、毛利元就ははるかに師の名を慕い使いを馳せて、三原の妙法寺に屈請ししばしば吉田に招いて参禅しました。
 又、元就は度重なる戦いによって失われた幾多の敵味方の幽魂に思いを致し、嘯岳を導師として、管内禅派の僧侶を請じ、法華経千部を読誦し、英霊を癒めました。その願文は次の通りです。
 『それ法華経は諸仏出世の本懐にして衆生成仏の直道なり。毎歳千部満十歳にして一万部、造次顛沛須らく至濤すべし。寡人元就布広より起こり、戦闘百余度、三尺の剣下所鏖の幽魂殆ど数千万、願くは此の法水に浴して忽ち永々怨讐の念を変じて、遠々守護の心を抱け、予が子孫たる物此の誓願うぃ重ね、法華一会永く退転することの勿れ。寡人欽みて上下の紙祇に告げ、以って嘯岳和尚に嘱す』
簡単な文中にも名将の大慈悲心を汲み取ることができます。爾来400年、絶えることなく洞春寺においてこの法会を営んでいます。
 なお法華経は聖徳太子が早くとりあげられ、義疏を書かれ、大乗経典の極致として日本仏教形式の一つの言動力となったものです。元就の願文に「諸仏出世の本懐にして衆生成仏の直道なり」とあるように、古来経中の王と尊ばれています。
 ちなみに洞春寺で修行される法華経千部会では、一種独自のクセをもった読み方をし、俗に長州法華と呼ばれており、法華会は毎年4月11・12日に営んでおります。



第十六番札所(山口市水の上町) 住職 日下 玄精