
| 餘慶寺の『東向き観音』 |
餘慶寺の観音様は、「東向きの観音様」として多くの霊験を顕わしてきたと伝えられていますが、今回はこの「東向きの観音様」にまつわる不思議な話を紹介しましょう。 備前の藩主、池田宗政公が江戸に在勤中のことです。正室で筑前の黒田氏より嫁した、藤姫様(宝源院)が重い病にかかったそうです。 ある日、宗政公の夢枕に五色の雲のなかから千手観音様があらわれ、「我は国元、備前の東向きの観音なり。この度の病苦を遁れんとするならば、悩む心を祈る心に改め、篤く吾を祈れよ」と厳かに告げ、煙のように消えたそうです。 宗政公は家来に備前国中を探させると、上寺山に東向きの観音様が在るのが分かりました。早速、祈願をされたところ、病気は平癒したそうです。 その後、この御礼にお召物二枚と千手観音の書像(仏画)そして「観音堂」の扁額を奉納されたとのことです。 現在、お召物は御袈裟となって収蔵庫に保管されています。当時の餘慶寺の風景にちなんだ、松林と鶴の絵柄に金の「回り藤」の紋を縫いつけた豪華なものです。 千手観音の書像は餘慶寺の宝物として、同じく収蔵庫に収めてありますがその書像の写しは、霊場会の出開帳の時などにお参りしていただいておりますので、ご覧になった方も多いかと思います。また、「観音堂」の扁額は本堂内の外陣に掛けてあります。お参りの際にはお堂内に入ってご覧になって下さい。 餘慶寺は古くは「日待山日輪寺」と言う名前のお寺でした。「遠く東の日の出を見るのに良いところ」と言うような意味からつけられた名前だと言われています。 ご来光を待つ人々と同じように、観音様もいっしょに東を向いてご来光を待っておられます。それはまるで人々の中に分け入って人々を救おうという、観音様のお気持ちが表われているような気がします。 餘慶寺のあたりの地名は北島といい昔には島だったとも言われていますが、きっと東の海から昇る日の出は素晴らしかったことでしょう。そんなことを考えながら眺めると山の麓の平野が、まるで大海原を見るような気がしてきます。 現在は残念ながら竹薮などで、東の見晴らしはあまり良くありませんが、西側にある鐘楼の横から坂道の下を見下ろすと、吉井川の見晴らしが楽しめると思います。 巡拝に来られた方は本堂以外にもあちこち散策なされてはいかがでしょうか。観音様のおかげでなにか発見があるかもしれません。 |
| 第二番札所(岡山県邑久町) 上寺山 餘慶寺 |