
| 村の歓喜伝える水路 |
| 鹿野の町で耳を澄ますと、いたるところで色んな水音に出会える。ごぼごぼ、じゃびじゃび、じゃばじゃば・・・。 ここ漢陽寺の裏山には、山口県指定文化財の潮音洞と名付けられた導水路がある。 この水洞は、1654年(承応3年)に、時の代官であった岩崎想左衛門重友が、私財を投げ打って完成させた大事業である。 当時の鹿野の大地は、本流がすべて地下を流れていて、土地はやせ細り、人々が生活するにはあまりにも不便で、貧困を極める状態であった。 この状況を見かねた想左衛門は、漢陽寺の裏庭を散策した折に、本流では一番高い場所を流れるU字型に迂回する川に注目した。 「ここから水路を引いて漢陽寺の山を掘抜いたらどうか・・・?」 そして1651年(慶安4年)に工事を起こした。当初は半ばあきらめ加減で無関心だった村人たちも、工事が進むにつれて協力を惜しまなくなった。当時では測量技術や工具も乏しく、工事は難航を極めた。 しかし、想左衛門の構想が見事に的中し、本流からの水路870メートル、裏山を掘削した100メートルをほとばしるが如く、大量の水が流れ出てきたのであった。通水に立ち会った村人たちから唸り声のような歓喜が鹿野の町にこだましたと文献にある。 この水は現在でも境内を回り、途中で8本の支流に分かれ、さらに枝分かれしていく。この水路のおかげで約60ヘクタールの水田が開かれ、今も農業の基礎となっている。 潮音洞の名は、観音菩薩のように「慈雨を注いで民を潤す」といった意味で、観音経普門品の「梵音海潮音、勝彼世間音」からとられ、想左衛門と親交のあった当時の住職が名付けたと云われる。 |
| 第15番札所(山口県周南市) 鹿苑山 漢陽寺 住職 杉村 五由 |