
| 重文(彫刻)木造赤童子立像 |
| 昭和二五年八月指定 童子と呼ばれているように子供の像だが、それにしても珍らしい表情をしている。衆生(一切の生き物)を救うために、仮りに神の姿になって身を現わす垂迹像で、本尊の脇仏の一つとして作られたものであろう。天孫降臨の時の使者の天児屋根命といわれ、春日神社では祭神の一つになっている。即ち、天児屋根命は、今で言う祝詞などを掌る神で天照大神の岩戸がくれの時、太祝言を奏して大神の気をやわらげたという伝説がある。 像高81.4センチの檜材の寄木造の極彩色像で、右手に杖を持ち、切り立った岩場に立って大声で叫んでいる姿は、戦乱の果てしなかったこの時代の世相に対して、忿懣やるかたない怒りをぶちまけているようだ。 赤童子像は彫刻としては例はないが、絵画としては、大和(奈良県)郡山市の植槻神社のものが唯一である。 大照院は、臨済宗南禅寺派の古刹で、日輪山南明寺に対して、最初月輪山観音寺と言ったが、承応年間(1652〜54)に、初代萩蕃主秀就の菩提所として、二代藩主綱広が秀就の法号をとって大照院と称したといわれ、秀就以下七藩主夫妻と、秀就に殉死した家臣七人の墓がある。 (大照院=JR萩駅から徒歩15分) |
| 第20番札所(山口県萩市) 大照院 住職 清水 宗杲 |