

| 今から約1200年ほど昔、平安時代の我が国は、唐の国(現在の中華人民共和国・中国)へ遣唐使・僧を朝廷より派遣されました。しかし、航海技術の侭らない時代であり、その多くの人々は、海のもくずとなったが、法運よく帰国されたのが弘法大師さまであり伝教大師さま、慈覚大使さまです。 多くの遣唐僧の中の一人、恵鍔大師さまは(西暦858年)五台山から日本へ帰ろうとした際に、海面に鉄の蓮華が現れて船の行く手を遮り船が進まなくなったとも。又、強風で海が荒れ船が漂流したとも伝えられるのが、「観世音菩薩が此の地を選んだ」と恵鍔大師さまがそう望まれたのだと、この地に祀り、庵を結んだのが、紫竹林の地であり、不肯去観音院である。そして現在の浙江省舟山市南海普陀山です。 11月15日に中国観音霊場住職と善男善女の方々総勢百十名が岡山空港、広島空港、福岡空港の3班に分かれての出国となった。同霊場会参拝団と普陀山との合同の開眼記念大法要が盛大に厳修された。 今回落慶を迎えた「紫竹林観音芸術長廊」は間口(横幅)60メートル、奥行き3メートル、屋根は平安(唐代)時代和風様式瓦葺き、床は石畳張りの中に、各霊場寺院の縁起文の彫られた、、横80センチ、奥行き60センチ、高さ80センチ、石の台座の上に、一番高い立像で、180センチの石彫観音像が37体安置され、御堂の回りは五色の「仏旗」にて壮厳され、参道に百数十本の赤色、青色の「南無観世音菩薩」幟旗はためく境内に、「紫竹林観音芸術長廊」の落慶並びに観音観音霊場各寺院御本尊開眼・日中合同法要が晴天にも恵まれる中を、普陀山仏教協会会長の戒忍法師、同副会長の道生法師、同道慈法師、推航法師、佛祥法師、浄旻法師、演権法師、界定法師をはじめ普陀山僧侶総出仕にて営まれ、続いて第22番札所島根県多陀寺の茶円宥賢住職を大導師に、現地の熱心な信者の方々や台湾からの巡拝者を含め千人を越す参拝者を迎えての盛儀な大法要となりました。 法要の終わりには、開創20周年記念事業実行委員長であり、又、当時の霊場会会長として普陀山との友好交流に尽力した、第1番札所・岡山県西大寺の坪井全広住職と戒忍法師が挨拶を交わし、境内に記念樹式典を行い、さらなる友好交流を誓った。 尚、この境内一帯は、日本の僧恵鍔大師ゆかりの聖地として、整備中であり、上手には、不肯去観音堂や東屋が来春4月には落慶を迎える予定とのことであります。 |