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| 入山した当時、暇を見つけては、本堂の庭の草引きを日課としていた。何と言っても広大な寺であり、勿論、当時は薬剤散布などと言う便利な方法もないので、雑草を始末するには、長い草は鎌で刈り取り、短いのは手で引き抜くのが原則であった。 一方、当時はアポをとってから来寺する客はなく、突然訪れて来られる。石段下の本坊へ案内を乞うから、留守番は、檀家の方には「住職は本道の裏で草をとっております」と言えば、お詣りついでに登って来てくれるのだが、遠来の客は住職を呼ばねばならぬ。その方法も古めかしい。勿論、携帯電話などある筈もない時代であるから、板木と言って堅い板を木槌で叩く。その最後に離して三つ打てば住職を呼んでいると言う事になっていた。 時には二百余段の石段を昇って、さてと仕事を始めようとすると板木が鳴る。三つでなければよいがと思っていても殆どの場合が三つ。やれやれと、又、石段を降って着衣を替えて客と接する。多い時は日に五回以上もこれを繰り返す。 若いから、ある高僧にこのことを愚痴った。「お前は幸せな人間だ。仏様に奉仕するだけでも恵まれているのに、毎日、何回も呼び寄せてくださる。観音さまが呼んでくださるのだ。こんな素晴らしい有難い事はない」とのお論し。 それまで、しぶしぶ義務の観念からの草引きが、今日は何回観音さまがお呼びかけくださるだろうかと、手を合わせてから仕事に取り掛かるようになった。日常茶飯事が一寸した切っ掛けから観音さまにお会い出来ると言う人生にとっての転換期になる。 巡礼に旅立つにもその切っ掛けは様々であろう。病気になったり、何かに悩んだり、生き詰まったり、或いは観光ついでとか、何となく暇に任せて、又は、定年になったから暇つぶしにとか。しかし、何れにしても観音さまが呼び寄せておられるのだ。観音さまが縁を結んでくださったのだ。それは巡礼が終っても認識出来ない人もあるかも知れない。 丁度空気や水の存在を知りながらも、その有難さを感謝しないように、観音さまの慈悲、有難さも、余りにも偉大であって、その慈悲を頂きながらも気付かないのだ。 人類も近年になってやっと大気汚染とか、環境破壊とか言って空気や水の有難さが解って来たらしいが、観音さまの巡礼に旅立つ気持ちに駆り立てられるのも、こうした節目に遭遇して、観音さまを頼り、生かされていることに感謝する気持が生まれたからである。 先日の朝日新聞の座標の欄に、論説主幹の方が「バブルの崩壊を契機に、産業界の活力や自信が失われ、行政への信頼も、財政の健全さも失われた。何よりも国民の暮らしから、安心感が奪われた。」そして「失われた十年はずるずると二十年にも三十年にも延びてゆくのではないかと言う不安に襲われる。」、と「失われた十年」の中で述べておられる。 現代の日本は確かにこうした不安に畏れおののいている。そしてこれから逃れようと一生懸命もがいてはいるのだが。 法華経の二十五番目の「観世音菩薩普門品」と申すお経の最終部分(偈と称している)に出て来る、観音さまのお力によって避けることの出来る十二の災難(もう一つを加えて十三難と言うこともある)、それ等から退散するには観音さまのお力を念ずること・観音さまにおすがりすることを教えられている。 観音さまのお呼びかけに応じて、私達は、この教えを胸に、一身を観音さまにゆだね、心の安心を求めて、一歩一歩、次の観音さまを慕って歩を進めてゆく、そこに観音巡礼の意義を多少なりとも認識出来るのなら、これに過ぎる幸いはないと言わなければならないであろう。 |
| 中国観音霊場会会長 第二十五番札所 鰐淵寺 住職 佐 藤 泰 欽 |