秋季合同大法要
霊場会全寺院住職総出仕



 
日時・平成十二年十一月十二日(日) ・併催/お七観音祭


 毎年秋、中国五県輪番で行われる当観音霊場の合同法要は本年度は特別霊場、岡山県の誕生寺で勤めさせていただくことになりました。
 誕生寺は浄土宗の開祖・法然上人誕生された聖地として有名であります。
   観音様より授かった『法然上人』
 法然上人の父は漆間時国公、母は泰氏で平安期、美作の三大豪族の一門で押領使(地方の治安を維持する武士)という役職を任務されておりました。
 夫婦にはしばらく子供がなく、当地より東に三,四キロ程離れた山間に「岩間の観音さま」と信仰を集めていた本山寺がありました。(現在の柵原町の天台宗・本山寺)夫婦はその観音様に毎日、獣道ともいえる山道を二十一日間通われ子の授からん事を祈願されたのでした。

お七観音

 誕生寺本堂南側に位置する中国観音特別霊場の観音堂は、寛永八年(1631)津山城主初代・森忠政公が御霊屋として寄進されたもので、現在おまつりされている聖観音(慈覚大使作)が通称お七観音であります。
 「八百屋お七」それは、純朴な乙女が、恋しき人に今一度逢いたいが為、江戸を大火へとまねき、お七わずか十六歳、火あぶりの刑となった、哀れ悲しき乙女の恋、八百屋お七の話は今も多くの人の知るところであります。
 当時、放火は殺人よりも重罪で家を焼かれた人にとっては、すでに処刑されていても、お七は憎むべき存在であった。こういった事で江戸でのお七の供養は表だった事は出来なかったのです。
 美作の誕生寺ならば江戸の人の耳に達することは無かろうと、また法然上人の教えは身分男女を問わず、いかなる悪人をも極楽往生を得ることが出来るとのこと。
 元禄十二年(1699)当時第十五世通誉上人が本尊の法然上人像を江戸の増上寺、回向院に出開帳に赴いた際、八百屋お七の振袖を持参し供養を通誉上人に依頼したのである。
 その際、通誉上人は「火」を転じ「華」とし「煙」を転じ「艶」とされ、お七の戒名を『華月妙艶信女』と授与された。
 美作誕生寺に於いてお七の極楽往生の回向がなされ、再びお七の様な哀れな事が生じない様、切実なる悩み苦しみ、願望を持つ者あらば、必ずその願、成就されんことを……通誉上人は観音菩薩さまのお顔は、かつてあの優しい乙女のお七の顔になり、誕生寺の『お七観音』とよばれる様になったのです。




【法要内容】◎合同法要 午前十時より
      ◎記念写真 十時四十五分
      ◎お焚き上げ供養 十一時半(境内)
      ◎引き続き催し物 (於・阿弥陀堂)
      ◎還列 十二時半〜