観音様は「観世音菩薩」という時と「観自在菩薩」という時がありますが、それはどう違うのでしょうか。 どちらが 正しいのでしょうか?
                     (広島市 公務員 58才)


 観音様はインドの言葉(梵語)で「アウ゛ァローキテーシュウ゛ァラ」と言われます。この言葉はどこで切るかによって意味が変わるので、それぞれのお経に相応しい訳語が選ばれてきました。
 観音様のお経と言えばすぐに思い出される『観音経』は、鳩摩羅什(くまらじゅう)というお坊様が中国語に翻訳されたのですが、このお経は、無盡意菩薩というお方がお釈迦様に「観音様はどういう因縁によって『観世音』というお名前になられたのですか」と質問するとこらから始まります。これに答えてお釈迦様は「この世の多くの人が悩み苦しみの中にあって、救いを求めて一心に祈る時、観音様はその音声を観じ(心で見聞きすること)て、救って下さるから、観世音という名前である」とお説きになっておられます。それ故、羅什三蔵は「観世音」と訳しました。
 その後、唐の時代に三蔵法師玄奘(げんじょう)がインドから『般若心経』を携えて帰国されます。このお経の中で観音様は「観自在菩薩」として登場されますが、玄奘三蔵が「観世音」ではなく「観自在」と訳したのにはとても深い理由があります。『般若心経』の中で、観音様は悟りに到る最高の智慧(般若)をもって、全ては『空』であることを深く広く洞察されます。即ち観音様は森羅万象を「自由自在に観じられた」わけで、この意を汲んで玄奘三蔵は「アウ゛ァローキテーシュウ゛ァラ」という言葉を「観自在」とお訳しになられたのです。
 ということで「観世音」も「観自在」も共に深い意味を含んだ観音様の正しい名称です。


◎回答者/第十三番札所 三瀧寺住職 佐藤元宜