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| 第五番札所(岡山県岡山市) 金剛山 遍照院 法界院 |
| 会津八一の歌碑 |
| 法界院の山門をくぐると石段の左方に、会津八一(秋艸道人)の歌碑が あります。これは四国八十八ヶ所霊場第八十五番、八栗寺の釣鐘のお 歌です。この鐘の銘文と揮毫をご依頼されるときに、法界院の先住松坂 帰庵大和尚が、秋艸道人をご紹介して鋳造された深いご縁がございます。 その鐘銘文は次の通りです。 五劍山八栗寺の 鐘は、戦時供出し、 空しく十餘年を 經たり。今はここに、 昭和卅年十一月、 龍瑞僧正、新に之 を鋳むとし、余に 歌を詠じて、之を 聖観世音菩薩の 寶前に捧ぐ。その歌に曰く、 わたつみの そこにゆくうをの ひれにさへ ひびけこのかね のりのみために 秋艸道人 「わたつみ」は古語で海のこと 「のり」は仏法のこと。 |
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| 第三十二番札所(鳥取県鳥取市) 補陀落山 慈眼寺 観音院 |
| 岡山⇔鳥取を往復した愛染明王 |
| 岡山の藩主、池田忠雄が寛永九年(1632)に薨ると、嫡男である光仲が三才で家督を嗣いだが、徳川幕府の政策で因伯二州に国替されました。 ときに宇喜多興家・直家の菩提寺であった岡山の光珍寺の四世宣伝法印は、光珍寺を弟子豪弁(後の観音院二世)に譲り、帰依僧として随伴しました。 城山から近い栗谷に寺地を与えられ、雲京山観音寺を興しました。岡山から光珍寺の本尊である愛染明王を移し祀ろうとしましたが、城山より出土した聖観世音菩薩の尊像を賜り本尊としました。 この愛染明王は光珍寺にとっては由緒のある本尊で、光珍寺縁起書によれば『後水尾天皇寛永年間(1625〜1643)に本尊を因州鳥取の観音院へ移り奉りしに。光珍寺先住、天純法師の夢に「鳥取に移せし本尊、備前に帰りたし」とのお告げあらば、如何にして迎え奉らんと往反数度に及べど測らざるなり。不惜身命の誓為し、談合せしに辛うじて霊仏明王を迎え奉る』とあります。 『The観音』の記事に、餘慶寺恵亮院の毘沙門堂は明治三十五年に光珍寺の愛染堂を移築したものということです。 |
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| 第一番札所(岡山県岡山市) 金陵山 西大寺 |
| 普陀観音との法縁 |
| 寺院というと鬱蒼とした木立と苔むす庭園を連想しがちですが、当寺の場合は境内に樹木がなく、誠に殺風景です。 しかし今年から少し様装が変わります。境内の一角に『普陀南海観音』をお迎えするからです。 ご承知の通り,日本仏教の母なる仏教の四大聖地・普陀山は、観音様の故郷を具現した聖地として、中国はもとより東南アジアで最も深い信仰を集めています。 この普陀山と当中国観音霊場会との友好交流十周年を記念し、このほど普陀山から三.三メートルの観音像が霊場会へ贈呈されました。 誠に有難いことに第一番札所である当寺に安置されるという、願っても得難い法縁です。 当寺にご参拝の節は、この普陀南海観音にもお参り頂き、普陀南海観音の開眼法要は、普陀山代表団を招請し、左記の通り日中合同で厳修致します。 お揃いでお参り下さい。 平成十五年五月十一日(日) 午前十時より 第一番札所 西大寺にて |
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| 第十四番札所(広島県宮島町) 多喜山 水精寺 大聖院 |
| 厄除開運 | 節分大法会 |
| 平成十五年二月三日(月) |
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| 特別霊場札所(山口県平生町) 神峰山 用明院 般若寺 |
| お火待ち | (十二月三十一日) |
| 毎年大晦日、航海上の難所である大畠の瀬戸(日本三大潮流の一つ)より、当山の観音堂に火の玉が飛来すると言い伝えられています。 この火の玉は龍燈と呼ばれ、鳴門に住む龍神に捧げる火であり、また、般若姫の魂とも言われています。 瀬戸より飛来した龍燈は「龍燈之松」なる松に掛かり、その後観音堂にある「三光之窓」より堂内に入り、灯明に火を点け観音像に入ると言われています。 また、この龍燈を目にする事が出来れば、大漁・豊作・良縁など願いが叶うとも言われています。 この伝説は広く信じられ、数十年前までは実際に龍燈の松の下に篭もる人が多数いたとのことです。 本年は観音堂の周辺に多数の「ねがい火」なる灯明を多数かかげ、龍灯の迎え火とし「お火待ち」と称し除夜の鐘・護摩法要を厳修いたしますので、ご案内申し上げます。 「ねがい火」の申込を受け付けております。 灯明点灯 午後七時 除夜の鐘 午後十一時より 護摩法要 深夜0時より お問い合わせは般若寺まで 電 話(0820)56−3636 |