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第三番札所(岡山県備前市) 日光山千手院 正楽寺
寺宝展示会と「七草粥」ご接待
| 備前市の東部、兵庫県との県境に位置する当時は静寂な山裾に寺領があり、辺りを木立でかこまれた中に山門・本堂・鐘楼・書院等の堂宇が立ち並んでいる。 備前四十八ヶ寺の第二十一番目の寺として天平勝宝元年(749年)に報恩大使によって開墓された古刹でありますが幾度もの火災等にあったため多くの寺宝が灰燼に帰しました。 今有る寺宝を少しでも多くの皆様にご覧戴ければという願いから、旧暦の「春の七草」の日に、当山客殿に於いて『寺宝展示会』を開催いたしております。又、当日は『七草粥のお接待』もいたしております。 平成十三年の旧暦七草は一月三十日(火)です。皆様のご来寺をお待ちいたしております。 |
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第三十二番札所(鳥取市) 補陀落山慈眼寺 観音院
県道樗谿神社線拡張工事 今春終了!
| 左右を遊歩道巾十五米、観音院への大型バスでの参拝が便利になった。七月一日開館の鳥取市歴史博物館(やまびこ館)、もと因幡東照宮と呼ばれた樗谿神社へ行ける。 国道二九号線より約二〇〇米、旧水道局跡地やまびこ館第一駐車場、大型バス二台、自家用車約四十台位駐車可。無料。立派な公衆便所もある。十月一四日、樗谿神社創建三五〇年を記念して、大正一〇年以来開かれていない古い「権現祭り」が八〇年ぶりに復活され、それより先九月一〇日旧東照宮別当寺である第三十三番大雲院で創立三五〇年慶讃大法要が、毘沙門堂跡宏映大僧正を迎えて盛大に営まれた。昭和五九年から六二年にかけて保存修理を実施した名勝観音院庭園は一二年経過し、各所に修理の必要が生じ、八月二〇日着手、竹穂垣の取り替え、景石の据直し、育成木の植え込み、高木の枝下し等施工。一〇月三一日完了。心の落ち着く、すっきりとした姿をもどした。 |
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第十四番札所(広島県宮島町) 多喜山 大聖院
大聖院と観音さん
| 日本三景の一つである宮島に在る当山は、平安時代の初め大同元年(八〇六年)に弘法大使が唐から帰国されて京に上がられる途中、求聞持の法を修せられ開かれたお寺です。 又、皇室との因縁深く鳥羽上皇が当時を勅願道場と定められて以来、仁和寺第二十世門跡一品任助法親王(厳島御室)が御座所にされたり、明治天皇が伊藤博文公等を従えてお立ち寄りになられた厳島の総本坊です。 大聖院の観音さんは十一面観音様で、そのお姿は十一の顔を持って喜怒哀楽を現し、左手に清浄慈悲を現す蓮華を持たれ、正に優しさに満ちあふれた姿をされていて、行基菩薩の御作と伝えられています。元は厳島神社本殿の裏に梁五間・桁六間の夏堂(本地堂)というお堂に安置されていました。これは平清盛公が『当社は是れ観世音菩薩の化現なり』と神社に納められた願文の中に書かれています。又、神社内に十一座の神様を祀っているからだという説もあります。 御祭神の三女神様は大変美しく、観音様の清らかなお姿の中にその面影が重なって見えたのではないでしょうか。この観音様に昔から多くの人々が手を合わせ、おすがりし、おかげをいただいてきましたが、明治の初めの神仏分離令で当山の本堂に移されました。 後に火災が起こり、観音様も燃えてしまったかと思われましたが、お堂の横に流れる河の中に無傷でおられました。正に霊験あらたかなこの観音様を安置するため、先々代の恵光大和尚が現在の観音堂を建立され、ここにお祀りされました。今現在もの参拝者が多くお供えする線香が絶える事はありません。 |
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第二十五番札所(島根県寺平田市) 浮浪山一乗院 鰐淵寺
伝説を現代に生かして(一〇一km 弁慶うぉーく)
| 鰐淵寺の修行僧であった武蔵坊弁慶が伯耆国大山寺にあった釣鐘を、およそ一〇〇km離れた出雲国鰐淵寺へ一夜のうちに担ぎ帰ったという弁慶釣鐘伝説に因み、平田商工会議所青年部の主催により「弁慶うぉーく」が毎年開催されています。 先導役として、地域住民が扮し、釣鐘を担いでリレーする九人の弁慶に続いて、一〇一kmの道程を一昼夜二十二時間かけて歩き抜くこのイベントは、平成二年より実施され、完歩率三割という過酷なウォークラリーですが、今では県内外より三〇〇名を越える参加者を数え、年々増加の一方です。競歩でもなく、体力づくりでもない、弁慶釣鐘伝説を再現することにより、地域の活性化を図り、完歩することによって、未来の人生に自信を与えさせてくれるこのイベントに、多数の皆様のご参加をお待ちしております。 |
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第二十番札所(山口県萩市) 霊椿山 大照院
幽玄夢幻の炎宴万灯会 荘厳・六百余墓の石灯籠郡(国史跡)
| 大照院は、毛利元就の孫にあたり、関ヶ原の戦いに敗れて、防長二州に押し込められた萩毛利藩初代藩公となった毛利秀就公以下第二代から偶数代の十二代斎広公までの七代藩公夫婦の廟所・菩提寺である。 大照院境内は白壁の映える鐘桜門から先に本堂が鎮まり、右に土塀を築いて庫裏が見え、本堂横の経蔵前の石橋を渡ると小門があり、ここからが廟所である。 石畳を敷いた参道が造られ、その左右には重臣たちや、ゆかりの深い人々の献上した六百三基の石灯籠郡が、藩公夫婦達を護るが如く整然と林立して壮観。 毎年八月十三日の夜に行われる万灯会にはこの灯籠に灯される炎で幽玄夢幻の世界が広がり、歴代毛利藩公夫婦たちの霊を慰めている。 |